のんのんの無駄話

言いたいことを言いたいだけ言いたい

そのあとの話

お久しぶりですのんのんです

今日は素晴らしい発見をしたので聞いてください。僕はこの発見をした時に自分は天才なんじゃないかと思いました。「なんだそんなのもうわかってたし」って人の方が多いと思いますがそこはマジでご容赦ください。温かい目で読んでください。

 

話というのは「無伴奏混声合唱のための After...」についてです。

 

さて、この曲集は「言葉」「絶望」「遠くへ」「そのあと」の4曲から出来ており、東日本大震災をはじめとするカタストロフや出来事に関連する曲です。今日は終曲「そのあと」についての話です。まずはこの演奏を聞いてください

https://youtu.be/aCh4pSv4Lys

はい、素敵な演奏ですね。演奏についてはどうでもいいんですが、この曲はお聞きのように「そのあとがある」という歌詞が繰り返されます。

「そのあとがある」

曲集のタイトルが「After...」な訳ですから、「その後がある」ということです。悲劇やカタストロフはあったけれども、そこで終わりではない、その後があるんだ。という読みが一般的です。「言葉」「絶望」「遠くへ」そして「そのあと」僕はこの流れがたまらなく大好きです。

 

しかし、一昨日くらいにあることに気がつきました。

これは「その跡がある」とも聞こえるんじゃないのか?

そう思ってもう一度演奏を聴き直したのですが、もうそうとしか聞こえませんでした。歌詞の意味が反転します。悲惨な出来事やカタストロフの「傷跡」、それはまだ消えることなく残っているんだ。どんなに時が経っても残るんだと。そのような曲に聞こえてきたのです。もうここまでくると明らかなんですが、谷川俊太郎先生が「そのあと」と平仮名でタイトルをつけたのはこういう理由だと思います。「その後」と「その跡」どちらにも読めるように(聞こえるように)したのだとしか考えられません。そしておそらく信長貴富先生も。

僕は東日本大震災の被災者です(何をもって被災者とするかはわかりませんが)が、内陸にいたのでそんなに大きな被害を受けたわけではないです。なので何も考えずに「その後がある」って読んでたんですよね。でもそうじゃない人は?起こってしまったことを忘れられない人は必ずいるはずです。この曲を聴いた時にそういう人は「その後がある」とは聞こえてこないんじゃないでしょうか。

ここまで考えてもう一度曲を聴くと、終曲「そのあと」は本当にとんでもない曲です。ちょっと戦慄しました。旋律だけに。そして谷川俊太郎先生がいかにすごいか、信長貴富先生がいかにやばいか、それを再び実感しました。オキシモロンやダブルミーニングは最高の芸術の「形式」であります。それを日本語で書き、音にするとは……ていうか曲集のタイトルがミスリードになってる!絶対わかってやってると思います。機会があったら聞いてみたいです

 

これが正しいとかはこうすべきとかは問題ではなく、読みの深さ、広さがあるからその営みが「芸術」になるんじゃないかなと思います。特に現代ではそれが強いかなと。そしてさらに合唱は詩人、作曲家、演奏者の読みが絡んできます。どう考えるかを問題としない演奏もすごい好きですし、いかに考えたかがわかる演奏も好きです。そしてそれら全てを受けられる器になるような作品はそう多くないと思います(おこがましいですが)

 

ちょっとお尻がぶれちゃいましたけど言いたかったことは以上です。支離滅裂な文ですが昂ぶるパトスを感じてくれれば幸いです。伝わってるか不安ですが……本当にごめんなさい

 

次回以降はバーチャル合唱団について書きたいです。連載形式で書きます

それでは