のんのんの無駄話

言いたいことを言いたいだけ言いたい

『彼方のノック』歌詞解釈の話

こんにちは、のんのんです。

今回は、2020年度Nコン高校の部課題曲『彼方のノック』の歌詞を解釈してみようと思います。タイトルにある解釈の「話」というのは、今回の記事では僕の解釈を結論としてただ書くのではなく、どのように歌詞を読んでいるのか、どのような道筋で物事を考えるのか、自らの解釈に至るまでにどのような過程を経ているのかなどを紹介したいという意味合いを持っています。(あとブログタイトルを全て「〜の話」に統一したいという気持ちもあります)例によってセクションに分けて書いていこうと思いますが、実際の解釈の部分は多分記事を複数に分けると思いますのでご理解ください。

 

1.この記事を書こうと思った理由、誰に向けてこの記事を書いたのか

2.歌詞の解釈の話をするにあたってまず記しておきたいこと

3.実践

 

1.この記事を書こうと思った理由、誰に向けてこの記事を書いたのか

以前書いた「表現と詩の話」という記事で、もっと歌詞をちゃんと読もうみたいなことを書き、「Nコン課題曲の話(2020ver.)」で、今回の歌詞は散文(百歩譲って散文詩)だからいつもと違うよねみたいなことを書きました。Nコンの話の続きとして、こういう曲に取り組むときにはどうしようかみたいなことを書きますと言ったんですが、それはまあいずれ書くとして、とりあえず実際に『彼方のノック』の歌詞をガッツリ解釈してみようかなと思いました。各論にちゃんと取り組んでから総論を語る方がわかりやすいかなと。また、こういうことをやっておくのは曲がりなりにも修士文学を取得した者の役目なのかなとも少し思っています。

この記事の対象は、コロナウイルスのため練習がなく暇にしている高校合唱部員を想定しています。アンサンブル練習ができず、不安を感じているでしょうが、僕は曲についていろいろ考えを巡らせるのも大いに効果のある練習だと思っています。あれこれ考えるだけなら外に出なくてもできますしね。合唱指導の場面で、「素直に感じたまま歌おう」とかいうアンポンタンがごく稀にいるのですが、ある程度それが正しいことは認めるにしても、それだけで許されるのは小学生までで、中高生にもなったら真剣に歌詞に向き合ってきちんと考え、自らの感受性を知性と結びつけて言葉にし、表現に持っていけるようにすべきです。高校生はそろそろ自分で自分の音楽性を管理できるようになってくる時期に入ってるはずですので、楽譜の読み方や楽典や和声を理解するのと同時に文学の解釈の仕方も身につけておくと今後の合唱人生は捗ると思ってます。というわけで暇している高校生はぜひ読んでみてください。面白くないかもしれませんが。

 

2.歌詞の解釈の話をするにあたってまず記しておきたいこと

大きく分けて二つあります。一つ目は僕の「偏見」についてです。持論ですが、人間は物事を自分の考えたいようにしか考えることができないと思っています。文学に関してはある程度自分の読み筋に従ってしか読むことができないと言えます。そこで、解釈をするにあたって今回僕がどのような偏見を持ってこの歌詞を読んだのかを紹介しておきます。

僕はNコンの曲を演奏するときに幾つかのキーワードを重視します。Nコンの課題曲は中学生や高校生といった狭い範囲の世代を対象にしているので、曲の内容の方向性はある程度似通っています。高校の部に関して言えば、「青春時代」(厳密にいうと大人の考える青春時代)を対象に作詞作曲されているわけですから、「青春」を題材にした内容に寄っています。「青春」について重要なイメージはいくつもあると思うのですが、一般的に題材としては「痛み」「葛藤」「もがき」「勘違い」「気づき」「成長」などのうちいくつかに絞られてきますので、これらが曲の内容に深く関わっていると仮定して僕は曲を解釈します。今回も基本的にはこれらのイメージに沿って歌詞を解釈していくつもりですので、みなさんもそのつもりでお読みになってください。

もう一つは解釈の手法についてです。一般的な文学解釈においては作者のバイオグラフィーや他の作品、時代性の考証やその他諸々のめんどくさいことを調べておくのですが、今回は「演奏のための」歌詞解釈でありますので、重視されるべきは論理的正当性から生まれる説得力だと思っています。ゆえに、自らのうちに根拠を見出すことを目的にするので、権威主義的な方法による解釈はあえて避けたいと思っています。また、基本的に広義での印象批評をメインにやります。理由は演奏に応用でき、かつ誰にでもできる範囲での文学解釈を実践として紹介したいからです。加えて、この歌詞についている音も解釈のために利用したいと思います。

 

3.実践

これをお読みになっている方は楽譜を持っていると思いますので、全文をまとめた引用はしません。楽譜を見ながら読んでいただければと思います。

長い長い、あの廊下のことを考えている

「長い長い」と二回繰り返しているのはおそらくただの強調であり、他には特に意味を持たないと思います。強いて言えば、楽譜を見てみるとdim.がかかっていますから、主人公はこの長さをマイナスに捉えているのではないかという印象を受けます。その後の「、」(読点)について、詩歌に句読点は用いないのが普通とされているため、通常の詩であれば注意して読むのですが、今回の歌詞の形式は特殊であるため、そこまで意識する必要はないかなと思います。筆者の手癖くらいに考えておいていいのではないでしょうか。「あの廊下」とありますから、「廊下」は「この廊下」や「その廊下」とは違い、現実の距離が遠い場所、又は非現実(想像の中)に存在していると考えて間違いないでしょう。また、廊下はなにかしらの抽象的概念を象徴していると考えるのが妥当です。廊下というと移動に使うための物ですから、ここで予想できるのは「人生」や「道のり」、「目標への過程」などでしょうか。「考えている」というのはごく当たり前に説明すると、「考える」という行動が現在行われているということを示します。また、「〜している」と表すことで、この行為の現実性もある程度強めています。そこから、この詩が主人公の個人的な(個人的に重要な)内容についてものであるということ、主人公にとって「廊下」のことはすぐに答えが出るような単純な問題ではないのではないか、という考えに繋げることもできます。

わたしは一人、突き当たりの扉を目指す

「わたし」がこの歌詞の主人公だそうです(作者談)。平仮名で記載しているのは次の行の「私」と区別するためでしょう。これについて詳しくは後述します。「突き当たりの扉」がこの曲の最大のモチーフになります。「扉」から連想されるものは様々だと思いますが、こういう風に多くのイメージを象徴しうる物や概念が出てきて迷ってしまう場合は、出来る限りそれについてシンプルに考えたほうがかえって読み筋を立てやすくなると思います。例えば、「扉」からは「未来への出発点」や「新しい世界への入り口」、「行手を阻む壁」などいくつものイメージの可能性があり、この段階ではどれに絞っていいかわかりにくいと思いますが、ここであえてあまり具体的なものに絞らずに、ごく単純に「出入り口」、「開閉するもの」くらいのシンプルなイメージに留めておくと、ある程度解釈が広がりすぎず、逆に狭めてしまうこともないので良さげです。もちろんこれだけでは演奏表現にはつながりませんから、読み進めていくうちに広げていく必要はあります。その扉を主人公は「目指す」わけですが、Nコンの歌詞を解釈するにあたって、「一人」という言葉には気をつけたほうがいいです。この類の曲において、主人公の言う「一人」や「孤独」はおおよそ勘違いであって、実は一人じゃない、ないしはみんなそれを感じているということに主人公が気づいてめでたしめでたしとなるパターンが多いです。それはそれとして、ここで主人公が言う「一人」とは

1.扉を目指しているのは「わたし」一人だけ

2.扉を目指している人は沢山いるけど、それぞれ別個に、一人一人目指している

以上のどちらを意味しているのかこの段階ではわかりませんが、楽譜を見ていると、この「一人」の部分で初めてdivするので、個人的には2の解釈寄りです。それを主人公が自覚しているのかしていないのかはここでは定かではありませんが、とにかくここからは主人公が感じている孤独と、一人でも何かを成し遂げようとする主人公の意志の強さを読み取ることができますので、ここの10小節から始まるcresc.の意味合いとしては、物語の展開を示すことに加えて、主人公の決意の表れととっても妥当であるような気がします。

私は私の命を使って

僕は僕の体をなげうって

懸命に駆けて、駆けて、駆けて、手を伸ばす

Nコンの歌詞では登場人物の性別を決めてしまうことは基本的にありません。「私」「僕」と表現することで、誰もが扉を目指しているのだということを示しています。加えて、「私は私の」「僕は僕の」としていますから、やはり上記の2の解釈の方が筋が通っているように思います。「命」「体」は我々人間にとって最も重要なものであると考えられます。「わたし」(というか「わたし」たち)は、これらを消費して(「使って」)、または危険に晒して(「なげうって」)まで扉を目指しているということなので、その行為が本人にとってたいへん重要なことであるというのが読み取れます。「懸命に」「駆けて」「手を伸ばす」とあるように、主人公はどうやら急いでいるようですが、そもそもなぜ主人公はこんなに必死に、それも急いで扉を目指しているのでしょうか。ここに今回のテーマがあると僕は思っています。つまり、

・「突き当たりの扉」は何を表しているのか

・主人公が扉を目指している動機

この二つの謎に答えを出そうとする試みが、今回の課題曲の表現にとって最も重要な取り組みになると思います。演奏する団体によってこの部分の解釈は分かれると思いますが、その違いが実際の演奏に大きく現れることはないでしょう。というのも、文字だけで考えるのとは違って、実際の演奏の表現はある程度音に規定されますし、扉が何を表そうが主人公の動機がなんだろうが、表現の全体的な方向性自体は今回の曲ではそんなに違ってこないからです。しかし、曲に取り組むにあたって、歌詞自体の主題を明確にしておくことは練習や演奏の助けに必ずなりますので、この二つのテーマについては考え続けることをお勧めします。

21小節のdim.はrubato的にrit.するのがフレージングでは普通なのですが、曲の解釈的にはin tempoの方がふさわしいと思ってます。ritするにしても、少なくとも21頭の「ば」には推進力を持たせた方がいいと思います。

何度も何度も

どれだけ引いても押しても

けれど扉は閉ざされたまま

ここでは主人公が一心不乱に扉を開けようと試みている様が描かれています。歌の方ではパートが入り混じっていますが、それぞれの(扉を開けようとしている一人一人の)試行錯誤の様を表しているのでしょうか。なぜ「閉ざされたまま」なのかはこの連の後半に示されていると思います。

光の射さない窓 道のり

わたしを傷つけたすべての人

「光の射さない窓」「道のり」は単純に見ると情景描写なのかなと思うかもしれませんが、それにしては簡素すぎる気がします。僕はこの三つ合わせて、「わたしが扉を開けられない理由」だと考えます。

「光の射さない窓」→展望の見えない未来、それに対して主人公が感じている不安

「道のり」→扉にたどり着くまでの苦労を思い返し、扉を開けた後にも続くであろうそれに辟易している

「わたしを傷つけたすべての人」→扉の先でもまた自分を傷つける人に出会うかもしれないという恐れ(?)、新しい世界への恐怖

これらが、主人公が扉を開けることを邪魔しているのではないかと推測します。注目すべきはここで書き連ねられている扉が開かない理由は、すべて外的なものではなく、主人公自身の内面にあるということです。ということは、主人公に何かしらの変化が起こらない限りこの扉は開かない、言い換えると、主人公の内面の変化がこの歌詞の世界の変化につながり、曲調などの変化にもつながっているということになります。これは文学において「小説(Roman)」の作法に分類されます。ちょっとわかりにくいかもしれませんが、いろいろなことを端折って説明しますと、「主人公の変化の後に周りの世界の変化が起こる」のが小説と捉えていただいて構いません。ここから先、何かしらの現象の理由は主人公の内部(考えや気持ち)にあるのではないかと仮定して読み進んでいきます。

また、この部分は歌詞につけられている音にも注目したいです。先程、僕は「光の射さない窓〜」が扉の開けられない理由であると書きましたが、32小節ではこの部分でcresc.しています。ここから、主人公は自身の恐怖や不安によって扉が開かないことを自覚しており、それを乗り越えようとしているのではないかと想像することができます。作曲者の土田氏が高校生へ送ったメッセージであると考えることもできるかもしれません。このcresc.の音色は様々な表現がありそうです。

 

さて、疲れてきたので今回はここら辺にします。まだ2連目までしか終わっていないのに長く時間をかけすぎた感がありますが、文学作品を読み取る時は序盤に一番長く時間をかけるのがいいと僕は思っています。GW中には残り全部もまとめてやっちゃいたいと思いますので、ここまで読んでくださった稀有な方は少々お待ちください。

 

それでは、今回はこの辺で

読んで面白いなと思った方は拡散してくださるとありがたいです。全国のコロナで暇な合唱部の高校生にこのくだらない無駄話が届くことを願っています。

 

引用:

課題曲紹介|NHK

https://www.nhk.or.jp/ncon/music_program/kadaikyoku_h2020.html