のんのんの無駄話

言いたいことを言いたいだけ言いたい

Nコン課題曲の話(2019ver.)

こんにちはお久しぶりです。のんのんです

就活も(だいたい)終わり、書きたいことが生まれたので筆をとってみました。

先日、2019年Nコン課題曲の楽譜を購入しました。無論コーチとして携わっている学校の指導のために買ったのですが、実は楽譜を買うまではこの曲にあんまり期待しておらず、「今回厳しいなどうしよっかな~」みたいな気分でした。しかし楽譜を見てからこの曲に対する評価が一変し、いろいろなイメージが沸いてきたので今回はそれを書いていきたいと思います。

 

さて、私はここ数年いわゆる「現場」でNコンに関わってきました。今年で3年目になるので、2曲の課題曲に必死になって取り組んできて、今回は3曲目ということになります。『君が君に歌う歌』『ポジティブ太郎』今までの2曲もそれぞれ別の側面から良いところがあり、取り組みがいのある曲でしたが、今回の曲は今までのNコンにはない魅力と難しさがあると思っています。はっきり言うと今回の曲は

 

コンクール課題曲にふさわしくない曲

 

だと私は考えています。どういうことなのか以下で説明していきます。

まず念頭においておかねばならないことは、「コンクールは演奏を披露する場ではなく演奏を評価する場である」ということです。全日本の一般の部はそのような傾向から割と外れつつあると思っていますが、Nコンは多くの団体が学生の部活動として参加している以上この原則は崩れないと思います。(その是非に関しては今回は置いておきます)そしてあまりにも当然なことですがコンクールの場で評価されるものは演奏です。演奏、すなわち過程ではなく結果が評価されます。そして演奏を評価する際に不可欠な要素は「明確な評価の基準がある程度存在していること」です。評価の基準はさまざまあります。毎年学生コンクールのレベルは異常な程上がっていますから、ヴォイス、ハーモニー、発音など基本的なところで評価するのは非常に困難です。だってみんなうまいんだもん。そこでしばらく前から(ブロックコンクール以上では)基本的な演奏の「上手さ」を披露するだけでは評価されず、「曲の本質を捉え、それを説得力を持って表現するための十分な技術が備わっているか」をクリアしていないと先に進むことは難しくなってきたように思います。

今回問題になるのは「曲の本質とはなにか」という点にあります。「本質」、「表現の軸」と言い換えてもいいかもしれません。表現は多種多様であっていいものですから、それぞれの団体が考える軸はあって当然で、極論どんな表現であっても上手くて説得力があればいいと言えるかもしれません。しかしコンクールの課題曲においてそれは許されない場合が多いと思います。作曲家や評価する側がある程度おおまかな「表現の軸」のようなものを想定して作ることがほとんどであり、事実去年と一昨年の作品はそうだったように思います。これは至極当然のことです。技術が飽和しつつある以上、表現の面で評価するしかないわけですから。この表現の軸を評価基準にしているということですね。そして表現の巧みさや説得力に差はあったものの、どこの学校も同じような軸で表現を磨いていました。その軸に沿わない(軸を発見しきれなかった)学校は先へ進めなかったと言い換えてもいいかもしれません。

それでは今年の課題曲の本質、表現の軸とは?楽譜をよく読んでいる方はお分かりになっていると思いますが、今年の『僕が僕を見ている』は様々な表現の軸を受け入れる器がある作品です。語弊を恐れずに言えば、ここ2年の課題曲が少なくともプラスかマイナスかニュートラルかある程度はっきりしていたのに比べて、今年の課題曲はそれすらはっきりしていないということになります。つまり今年の課題曲への取り組みにおいて大事なことは、おおまかな表現の軸を決めて磨いていくことよりも、練習をしながら表現の軸を考え、探し続けることにあるのではないでしょうか。ここにこの曲が課題曲にふさわしくない大きな理由があります。おおまかな表現の軸すらはっきりしていない以上、結果としての演奏を重視するのではなく、表現を探し続けること、考え続けることという、演奏からは伝わりにくい過程の部分が重要になっているということです。これは自由で多彩な表現が可能になるというメリットがある反面、演奏する側にとっては常に不安と戦い続けなければならないという困難があります。

 

まとめに入ります。この記事を書こうと思ったきっかけは、楽譜を見て

1.詩の解釈(というより捉え方、感じ方)の幅がかなり広い

2.フレージングや抑揚、ディレクションアーティキュレーションを自由につけることができそうだ

この2つを感じたことです。そこから、なぜこのように感じたのか、技術・表現とはなんなのか、今までのコンクールの傾向などを考えていった結果、今までダラダラと書いてきたことに思い当りました。

今回の課題曲への取り組み方、指導者はよく考えなければならないと思います。自由な表現が例年以上に許されると思いますが、自由は不安につながります。探し続けるということは自分たちの取り組みが結果につながるかわからない不安を常に抱えていないといけないということです。しかしそれに負けずに生徒と指導者で力を合わせて探し続けて欲しいと思っています。偉そうな言い方になってしまいましたが、僕自身がそう在りたいと思っていますので、その宣言をここにしたと思っていただければ幸いです。

 

この課題曲のおかげで今年のコンクールは本当に楽しみです。善悪は置いておいて今年を境目に何かが変わっていくかもしれません。コンクールの場で例年以上に多彩な表現の課題曲が聴けることを楽しみにしています。

 

それではこの辺で

おやすみなさい