のんのんの無駄話

言いたいことを言いたいだけ言いたい

合唱演奏のための理論 5-2. 声帯振動と共鳴

  1. 前置き
  2. 定義などの説明
  3. どのように技術を身につけるか
  4. 補足(余談)

 

1. 前置き

(※冒頭から言い訳で申し訳ないんですが、発声に関してはヴォイストレーナー声楽家の先生ごとにお考えが違うことが多々あります。ここではあくまでも私なりの見解を記述しているにすぎず、皆さんが教わっている方の考えを否定するものでは一切ありません。では本文です↓)

第5章では「発声」に着目する。いい声の出し方に関する検討を進める前に、そもそも「いい声」とは何かを考えておかなければならないだろうということで、前章を追加した。

前章を追加したせいで、本章で書くべきことが割となくなってしまったのだが、ここでは、「どのように良い声を出すか?」について検討する。

発声には様々な手法、ノウハウ、イメージやトレーニングがあると思うが、この章ではまず「声を出す」ことの基本となる「声帯振動」そして「共鳴」について一旦整理しておきたい。というのも、様々なメソッドがあるにせよ、声帯の振動により音が生まれ、共鳴することによって響きがついたり音が増幅したりするという仕組み自体は、人体という楽器に共通しているためである。

 

2. 定義などの説明

肺から空気が送られ、気道を通り声帯の間を通る。その際、2枚の声帯が近接している場合、息の流れの影響で声帯が高速でくっついたり離れたりする(声帯振動)。その振動によってブザーの様な音が生まれる。これを「喉頭原音」と呼び、歌声や話し声の「素」の様な物になる。

そして「喉頭原音」は声道を通ることで共鳴を生じさせる。

喉頭原音はそれ自体に様々な倍音が含まれているのであるが、声道での共鳴によってその倍音の一部が増幅されることで歌声や話し声になる。

以上が単純化した発声の仕組みである。要は、声帯振動によって音が生まれ、声道での共鳴によって歌声が生まれるということである。つまり、声帯振動と声道での共鳴の具合が、歌声の品質を決定づける。

(大まかな説明なので、より詳しく知りたい人は声楽用の身体に関する書籍はたくさんあるため読んでみると良い)

加えて、重要な考え方をここで説明しておきたい。それは、「母音とはすなわち音色である」という考え方である。何を言っているのだ?と思われた方もいらっしゃるかもしれないが、母音というのは声に含まれる倍音のうち、どの周波数が強いかによって定義される物である。要は、「あ」「i」「ö」などの声があるわけではなく、喉頭原音の増幅のされ方によって、倍音に偏りが生じることで、その音が「あ」の様に「聞こえる」のである。この考え方はいい声を目指すのに非常に重要であるため、ぜひ覚えておいてほしい。(補足1)

 

3. どのように技術を身につけるか

体系的な説明にはなっていないかもしれないが、3つに整理した。

①イメージを元に「出し方」を考えることも重要であるが、自分自身および第三者からのフィードバック起点での修正が特に重要である

②多くのコーラスシンガーはいい声の判断基準をブラッシュアップする必要がある

③共鳴と呼吸だけでなく、声帯振動がよくできているかにも着目する

それぞれ以下で少しずつ詳しく説明する。

①イメージとフィードバック

自分の体の全てを意識的に動かすことは難しいため、発声の訓練はイメージと身体感覚を用いることになるが、イメージによって体の全てをいつも同じ様にコントロールできるとは思わない方が良い。シンガーとしても、指導者としてもである。

イメージは人それぞれな上に、同じ自分であっても「どのように出せばいい声になるか」は日によって変わりうるということを覚えておきたい。特に指導者がシンガーのイメージや声の出し方を決めつけることは非常に危険である。(そのようなことが必要な場合もあるとは思うが、)リスクが高いということは認識しておきたい。(補足2)

そのため、トレーニングでは「正しい出し方の模索」より、「フィードバックと修正」に意識を向けた方が良いと考える(ここでいう「フィードバック」とは「このようにした方が良い」というような発声法に関するアドバイスではなく、「このように聞こえる」という声自体に対する感想や意見を指す)。声を出す前にあれこれ考えすぎるより、とりあえず出してから修正して、その身体感覚を覚えておくというやり方が良い場合が多いと思う。イメージを持ちすぎることによって、体が緊張してしまい、かえって声が出しにくくなるという現象は、かなりのコーラスシンガーが体験したことがあると思う。ただし、声や出し方へのイメージが不要というわけではない。これもバランスで、一切のイメージを持たずにやるべきということではない。「考えすぎかも/考えなさすぎかも」の視点を持っておくくらいで良い。

②いい声の判断

どのような声をいい声と定義するかについて、演奏理論の中での私の考えは前章に記載した通りである。要は、響いているか?ハモっているか?が大切であるが、自分がいい声を出しているかどうかは、「出している自分の身体感覚」で判断することになる。アマチュアのコーラスシンガーにおいては、自分にとって「いい声」が必ずしも「いい声」であるとは限らないため、他者に自分の出ている声を判断してもらい、身体感覚と紐つけていくことが効率が良いと考える。特に、多くの人は「自分にとってノイズのない声」を高く評価しすぎている様に思う。しかし、これが行き過ぎるといわゆる「そば鳴り声」だけを「いい声」と判断してしまいかねない。他人から聞いていい声、ホールでのいい声は、自分に聞こえる音としては少し荒く、うるさく聞こえるかもしれないし、もっと地声っぽく聞こえるかもしれない。

また、母音を固めすぎる(はっきり発音しすぎる)と少しハモりにくくなるということは理解しておきたい。音色の同質性や倍音の豊かさが損なわれる可能性が上がるためである。言葉を明瞭にすることは大事だが、そのためにどれだけ母音をはっきり発音しなければならないかを理解しておいた方が良い。これも経験論だが、母音をはっきり発音しすぎて声の魅力やハーモニーの品質が下がっている合唱団がかなり多いように感じている。

いい声、いい歌というものに関するイメージを都度ブラッシュアップすることが重要である。もちろんプロの声楽家であれば話は別になるであろうが、一般のコーラスシンガーの多くはいい声の判断軸自体に改善の余地がある。

③声帯振動への意識

経験上、多くのコーラスシンガーは「共鳴」にほとんどの意識を向けている。一方、「声帯振動がちゃんとできているか」にも同じくらいの意識を向けて欲しい。(今はやや緩和された様に思うが)昔の合唱団は、「喉声」に対する異常な拒否反応があり、逆に声帯振動が不十分な声はあまり気にしてこなかったように思う。様々な合唱団と一緒にやらせてもらって感じたことだが、声帯振動への意識はもっと持った方が良いと思う。不十分な声帯振動、また、力みなどによる「不完全な」声帯振動によって生まれた音を共鳴によって素晴らしい声(合唱団として目指す声)にしようとする手法も無しではないが、声作りに関しては声帯が必要十分に振動しているかにも気をつけられると良い。

呼吸、もちろん重要であるが、呼吸だけしっかりしていてもあまり意味がない。息を必要以上に吐いているシンガーが結構いるため、呼気をちゃんと声にできているか、もう少し意識したい。

多くの合唱団は呼吸と共鳴のことしか考えていないように思う。その間に声帯振動があり、声帯振動が「十分に完全に」できているかについても呼吸や共鳴と同じくらいには意識した方が良い。

 

自分の経験を振り返って可能な限り多くの人に当てはまりそうなことを説明したつもりだが、書いてみて、かなり個人によることが多いような気がしてきた。参考にするかしないかは各自考えて欲しい。いずれにせよ、合唱の練習だけでシンガーとしての技量を向上させることは難しいため、ヴォイトレを受けた方が良い。

 

4. 補足

その1

詳しく知りたい人は「フォルマント」で各自調べること。また、ここで挙げた考え方は非常に重要である一方で、言葉で伝えることは非常に困難だと感じている。頭で理解してもそれが「いい声」と自分で納得するまでに時間がかかるのである。繰り返しになるが、シンガーはトレーナーや指揮者と良くコミュニケーションをとるべきだし、指導者は自分にとっての「いい声」すなわちコーラスシンガーに求める声を可能な限り具体的に定義づけておきたい。

 

その2

本論の繰り返しになるが、非常に重要であるため補足を追加する。合唱指揮者は練習中にコーラスシンガーに対して、声の出し方やイメージを指定することが多くある。これは若干の危険を孕んでいると考えている。というのも、本論に書いた通り、「どのような出し方、どのようなイメージならいい声が出るか」は人によって、しかも日によって変わりうるためである。鵜呑みにし過ぎない方が良い。その一方で、まるっきり無視もしない方が良い。指導者も色々考えてるから。そのため、イメージや出し方に関する指定があった場合、そのイメージ、出し方を「試してみよう」という提案と捉えておいた方が良い。自分の今までのイメージや出し方とは「変えてみる」こと、あまり複雑に考え過ぎずに言われた通り「出してみる」ことは、発声を成長させる上では重要なプロセスである。

 

その3

本論を読んでも発声の技術が上がることはあまりない。他の章と比べて、考え方よりも実践に依存する部分がはるかに多いためである。それでもなお私はこの文章が無意味だとは思っていない。かつて、トレーナーの先生と話しているとき、「発声のことばかり一日中考えていた」のようなことを言われたことがある。当人はそれとなく言ったんだろうが、個人的にかなり納得した一言であった。

やってみないことには始まらないが、考えないことには成長はない、というのが現時点での私の考えである。

合唱演奏のための理論 5-1. いい声とは

  1. 前置き
  2. いい声とは
  3. どのように技術を身につけるか
  4. 補足(余談)

 

1. 前置き

(※冒頭から言い訳で申し訳ないんですが、発声に関してはヴォイストレーナー声楽家の先生ごとにお考えが違うことが多々あります。ここではあくまでも私なりの見解を記述しているにすぎず、皆さんが教わっている方の考えを否定するものでは一切ありません。では本文です↓)

ここまでは基本的に、楽譜を正しく再現するための技術にスポットを当てていた。今回と次回は、発声技術、すなわち楽譜を正しく「いい声で」再現する技術に着目する。

元々第5章としては「声帯振動と共鳴」というテーマを考えていたが、書いているうちに前提を整理しておかなければならなそうだったので、このパートを追加した。

この連載の導入でも説明したが、「いい(良い)」の定義は難しい。特に声に関しては、音高やリズムでいうところの楽譜のような、品質の水準を平等に示してくれる媒体が存在しないため、何を目指すべきか?が曖昧になり、演奏における他の要素に比べて体系的な訓練が困難になっている。

しかし、発声は合唱の演奏品質の大きな部分を占めており、実際、コンクール審査においても、年によって波はあるもののかなり発声が重視される傾向にあるように感じる。(当たり前ではあるが)

そのため、本章と次章では「いい声」とされている声に共通する要素を、「いい声の必要条件」として検討し、可能な限り具体的な説明を試み、いい声を発声するための技術を整理し、ある程度体系的な訓練、とまではいかないかもしれないが、指揮者やコーラスシンガーの指針になるような考えを示すことを目指す。

 

2.いい声とは

繰り返しにはなるが、「いい声」を厳密に定義することにはあまり意味がない。そのため、ひとまず「品質の高い演奏に求められる声」をニアリーイコールで「いい声」とする。すなわち、「いい声」の必要条件を「品質の高い演奏に求められる声」と言い換え、個人の好みに関わらず、共通して評価されるべき声の条件をここで検討する。

品質の高い演奏に求められる声は、

①どのようなタイミングでも聞こえる

②ハモれる

③楽譜の指示を再現できる

加えて、

④心身に過剰な負担がない

このように整理できる。例によって「当たり前だろ!」という感じだが、それぞれ説明させて欲しい。

 

①どのようなタイミングでも聞こえる

合唱の演奏は、基本的にはホールで、アコースティックで行われるため、そもそも「聞こえる」ためにある程度の技術を要する。ホールで生の声が観客に聞こえるかどうかは、声量と「響き」によって決定される。

・声量

あえて言う必要もなかろうが、聞こえる程度の声量は最低限求められる。ある程度訓練をすれば自然と声量は上がるため、自分の声が聞こえているかどうかを気にしすぎる必要はあまりない。

・響き

ここまで「響き」という言葉を迂闊に使ってしまっていたため、違和感を持つ人もいたと思う。ごめんなさい。「音色」とほとんど全く同じ意味にとらえてほしい。もう少し説明を加えると、この連載の中で響きという言葉を使っている時は、「声に含まれる倍音」のことを指す。「明るい/暗い」や「豊か/少ない」と形容されることが多いが、響きの性質は、含まれる倍音の種類の多寡・それぞれの音量・構成の偏りなどによって決定される。

 

ホールなどの広い空間でちゃんと聴こえるためには、声量は言わずもがな必要であり(でかけりゃいいってもんでもないが)、「響き」の観点からは、声にある程度の「明るさ」が求められる。加えて、「どのようなタイミングでも」聞こえるためには、声量と響きが「持続すること」が必要である。持続すること、そのために必要なのは「レガートでの歌唱」である。

要は、「ある程度の声量があり、明るい響きであり、レガートで歌唱できること」がいい声の条件の一つである。レガートはどこかの章で取り上げる。

 

②ハモれる

音高が正しく、よく聞こえ、よく響いていればほっといてもハモる(はずである)し、レガートもできていれば「ハモり続け」られる。なお、ここではユニゾンも完全一度のハーモニーとみなす。

(ハーモニーについては第4章をお読みください)

合唱のハーモニーにおいては、特に、「響きの同質性」が重要であることを第4章で説明した(※補足その2)。パートの中でよくユニゾンでき、全体でよくハモるためには、「ある程度自然で、豊かな響き」が重要である。

・豊かな響き

倍音は、基本的には基音から数えて高くなればなるほど減衰していくものである(何もしなければ高い方の倍音は発生しにくい)が、高い方の倍音がある程度の強度で含まれている状態を「響きが豊か」な状態と定義できる。翻って言うと、豊かな響きを持つ声とは、「(低い方の倍音が不必要に小さくなっていないという前提のもと)高い方の倍音もある程度の強さで含まれている声」のことである。

そして、かなりざっくり言うと、倍音が重なる部分が多い方が同質性が上がり、ハモり具合も上がる。

よって、何もしなければ発生しにくい高い方の倍音も鳴っているということは、声に含まれる倍音の種類も増えていると言うことであるため、「豊かな響きはハモりやすい」のである。

ここまで書けば理解いただけると思うが「豊かな響き」を持つ声は高い倍音が聞こえるため、そうでない声と比較して明るく聴こえる。練習という側面から言うと、明るい響きを目指せば、結果として、自然で豊かな響きになると考えて良い。

・ある程度自然な響き

音色、すなわち「倍音の鳴り方」の近似性が、別々になっている音の同質性を決定する。過度に力んだり、過度に特定の倍音成分を強調しすぎたり、息漏れなどでノイズが混ざりすぎたりすると、不自然な倍音構成を組成することにつながる。

様々な楽器を用いるオーケストラと違って、合唱の音源は一種類(人間の持つ発声器官)しかないため、変なことをしなければ響き(音色)はある程度似るはず。個人が力んだりすることで、その人の声及び声の持つ響きが歪な形になってしまうと、同質性を損ねてしまう、すなわち、ユニゾン、ハーモニーの品質を下げるため、可能な限り「自然な/リラックスした」状態の響きを目指したい。(補足その3)

 

③楽譜の指示を再現できる

「いい声」のパートに入れるような内容ではないかもしれないが、ソルフェージュが特に重要であるということをこの連載を通して主張しているため、あえて言及することにした。

音楽の演奏において、「楽譜の再現」は非常に重要である。発声という観点から言うと、まずは指定の音高・指定の速度やリズム、強弱の変化・速度の変化・アーティキュレーションに対応できねばならない。

よく聞こえ、よくハモれる声であっても楽譜の再現ができなくてはあまりよろしくない。この連載においてはテーマごとに分割して説明しているが、原則としては「全部同時にできること」、すなわち、「発声とソルフェージュの両立」が重要である。例えば、「ppであってもよく聞こえてなければならない」「暗い雰囲気のメロディーでも明るい響きがなければならない」「fで早い部分でもハモっていなければならない」というようなことである。

特に、さまざまな再現・表現の要求に対応する中で「明るい響き」をキープすることは非常に重要であり、とても難しいことである。

 

④心身に過剰な負担がない

ここまでの要件を満たしている、ないしは満たそうとしている限り、その発声方法が心身に過剰な負担を与えているとは考えにくい。じゃあなぜ要素としてあげたんだよという話ではあるが、「いい声」を客観的・体系的に判断することは結構難しいため、この要素を観点の一つに加えておく必要があると判断した。

練習中やふと思い出した時で良いから、「このやり方は心身に負担をかけすぎていないか?」を自分で確認してみてほしい。訓練によるストレスと、誤りによるダメージは別物であるため、後者は可能な限り避けること。

 

3. どのように技術を身につけるか

ここでは、「いい声の出し方」として、体の使い方や歌の歌い方を説明するというよりは、もう少し抽象的に、「いい声を目指してまず何をすべきか?」というのような視点の話にしたい。

まず、何よりも先に「定期的にヴォイストレーニングを受けること」を強くお勧めする。毎日練習できる部活動であればともかく、週1-2の合唱練習でコーラスシンガーとしての技量を上げることはかなり難しい(どこかで話したかもしれないが「ある曲を上手に、素敵に演奏すること」と「合唱団の技術を上げること」は結構違う)。自己流でも仕方ないんだけど、自分の出している声が、響く声であるか、ハモる声であるか、出している音高は正確かを自らの耳で判断することは非常に難しい。

ヴォイトレを定期的に受けるほどには時間的余裕がない人は、最低限すべきこととして、指揮者や団のヴォイトレの先生とちゃんとコミュニケーションを取りながら、「響く声、ハモる声」とはどのようなものかについてイメージを持っておきたい。

加えて、(これは私の個人的な趣味によるものだとは思うが、)合唱の演奏においては、十分に響き、正しい音程であることが、マストに近いくらい重要なため、歌唱のさまざまな表現、アーティキュレーションや発語においては、「よく響き、正しい音程であること範囲内で」という意識を持つことが重要である。「日本語がよく聞こえても響いていない」「音量やスピードの変化が素晴らしくても音高が違う」などは、演奏技術という観点からは個人的に推奨できない。また、これまでの経験から、優れた合唱団や吹奏楽、オーケストラの指揮者は、音色にこだわる、すなわち「響いているかどうか」を特に重視しているように思う。

経験上、ある程度の経験を積んだコーラスシンガーの多く(補足その5参照)は、必要以上に深い声を好む傾向にある。それ自体が絶対的に悪ということではないが、いい声を目指す第一歩は、技術的に品質の高い演奏のために必要な要素を理解し、ヴォイトレや指揮者とのコミュニケーションを通じて、自らの「いい声」のイメージを相対化し続け、ブラッシュアップしていくということになる。

 

4. 補足

その1

多くの合唱団では、基本的に指揮者の好みで発声訓練が行われる。それ自体を否定はしないが、ある程度自らの考えや要求品質を体系的にしておいた方が、演奏にとっても教わる側にとっても好ましいことが多い。「自分にとってのいい声」とはどのようなものかを可能な限り具体的に考えておくことは指導者として大切なことであると思う。

 

その2

全ての合唱演奏が、いわゆる「合唱らしい」ハーモニーであるべきという主張ではない。オーケストラのような響きを作る時もときにはあると思う。ただし、指揮者には「ハーモニーの形、作り方」について知っておくこと(よく考えておくこと)が求められる。合唱指導者はその性質上、自らのとった方針や自ら定義した品質を相対化することが難しい。

説教くさくなるが、あなたの目指した音が絶対的に正しいと言うことはあり得ない(そのような振る舞いが必要な時はあろうが)ことを十分承知しておきたい。もちろん私にも当てはまるため、ぜひたくさんの意見を頂戴したいです。

 

その3

歪さを揃えることで同質性、ハーモニーの品質を上げると言う方法もある。特に中高生の部活動でこのやり方は顕著である。口の開け方を揃えるとか、響きを感じるポイントを揃えるとかで、倍音の偏り方、すなわち音色を揃えると言う手法である。

これ自体は否定されるべきものではないが、本論で書いた通り、楽器が同じである以上、ある程度音色は似通うため、それ以上に揃える必要はない、というかそれ以上に揃えることによって声の持つ「良い」響きを損ねてしまいかねないと言うのが私個人の見解である。

ここはリスクをどれくらい許容するか、ハーモニーをどこまで厳密に見るかと言う「こだわり」の話であると考えているため、論理的に説明できるなら各自好きにすれば良いと思う。

 

その4

この動画は倍音と音色の関係をかなりわかりやすく表している。見ておいた方が良い。経験上多くの合唱に携わる人は「倍音」について理解してはいるものの、多くの勘違いをしている。

https://youtu.be/rv7dC2OJTSk?si=SZKpETLiqMErvegE

 

その5

この章では一貫して、「明るい響きが重要」としているが、厳密にいうと「低い倍音が不必要に抑えられていない前提で」という一文が常に入る。ただ、この文章の対象を考えた時に、高い倍音が足りているけど低い倍音が足りていないという状態は考えにくい(論理的にはありうるが実際あまり見かけない)

コーラスシンガーは、必要以上に深い声を好む傾向にあると感じる。暗いと深いの区別をつけることは一般には難しいため、多くは「深いっぽい暗い声」になっている。でも、ハモってるっぽく聞こえるので、それを改善しようとは思わない。これが非常にまずい。ノイズが多く、暗い声を「倍音が豊かな声」と捉えるのは率直に言って誤った理解である。

合唱演奏のための理論 コラム:なぜこんなことをしてるのか?

こんにちは!のんのんです。

合唱演奏のための理論をここまで読んでくださって本当にありがとうございます。

コラムでは、本編には入れるほどでもないものとか、本編に入れるほど論理的ではないものとか、まだ考えが十分深まってない内容をまばらに書こうと思います。

今回は、なぜこういった連載(?)というか文章を作ろうと思ったかをメインに書きます。動機がわからないのにアウトプットするやつ怖いしね。なお、ここまで(4章とこのコラムまで)が第1章公開時点でのストックです。こっから時間とモチベーションとの戦いですね。

 

書き始めた理由としてはいくつかあるんですけど、まず第一は

自分の合唱団をもっと上手くするために、技術に対する理解を深め、言語化したい

ということです。

毎日練習できないんですよね。毎日練習したいんですよほんとは。でも、社会人の団でそれはできないし、自主練を要求したくはないから、毎日練習するのと同じくらいの効果の練習を毎回したい。そのためには「ある曲を上手く歌える」だけではダメで、「どの曲もうまく歌える技術をつける」必要がありました。曲の練習だけではなくて、普遍的な技術の練習をしなくては、と考えていました。これはコーチをしていていろんな合唱団に思うことでもあります。

 

次に、これまでの特にコーチとしての経験から、

コンクールで評価をもらえる演奏、すなわちある程度のところまでの技術水準なら理論として体系化できそうだな

と感じたから。つまり「いけそうな感じ」があったからです。これは観察と実践の成果だと自負しているんですが、継続的に勝ってるところとそうでないところの共通点はある程度理解したし、勝ってるところが理論に基づいてやっているということも知ることができた。

 

最後に知的好奇心です。うまいところはなんでうまいんだろう、どうやったらもっといい演奏ができるんだろう、ってやっぱり思うんですよね。何か理由があるに違いないと、秘密があるなら解明したいと、ずっとそう思っていました。

 

動機は以上なんですが、まず書く前に、自分が読みたい内容が書いてる本がないかなと、国内外いろんな書籍を探しました。近かったものはあった(どこかのコラムでおすすめの本は全部紹介します)んですが、求めてる内容ではありませんでした。抜け漏れとか体系とか論理強度とかね。条件だけ書いて定義の記載から逃げてるものもかなり多かったです。

楽典や音楽理論とか練習のメソッドとかはあるんだけど、演奏の品質定義や技術の定義をしてくれている、いわゆる「演奏理論」みたいなのは見つかりませんでした。演奏理論に触れている、演奏理論に則って書かれているものはたくさんあったように思うんだけど、演奏理論自体、技術自体を定義しているものは多分なかったかな。

あと、音楽家は技術に対する論理的な発信がすごい少ない。これは「芸術」というものが持つ本質ではあるんだけど、もっといろんな人の理論を聞きたいなと思いました。(今回作るにあたってプロの指揮者や強豪校の先生方に、直接的・間接的にいろんなことを聞いた。オケと吹奏楽の指導者にもめちゃくちゃ教わった)

音楽や合唱というジャンル自体、技術の言語化、というか科学的・教育体系的な理論構築があまりされてこなかった、ないしは求められてこなかったような気がしています。スポーツとか、子供たちが部活としてやるようなその他のジャンルだとある程度進められているのに、合唱というジャンルでそれが進んでいないことは、かなり問題だと感じています(別のコラムで詳しく書きます)。今後の合唱の発展とか、雰囲気みたいなものを良くしていくためにボトルネックになるなと思ってます。

ただ、指揮者は、第1-4章に書いたようなことは「当たり前すぎること」として頭に入っている(言語化ができているかは別だが)ため、わざわざ言わないんですね。演奏や技術の理論やベーシックな練習は、「演奏を完成させるための練習」に溶け込んでしまっていることが多い。でも、コーラスシンガーは結構理解していない。指揮者が説明しないのだから。

このような状況、すなわち合唱というジャンルがどれくらい研究されているか?あまりされていないな?これは良くないぞ!みたいなことから、自分がやってみようと思ったのがモチベーションです。幸い物事を体系的に考えるのは好きだったし、論文も死ぬほど書いてきたしね。

 

あと、ここまで書いてみて思ったが、第1-4章はちょっととっつきにくいものになっちゃったかなと反省してます。文章硬いし長いし難しいし、前提知識も結構必要だし。ただ、読まれては欲しいんだけど読まれないと赤字になるとかではないので、対象を絞って専門的な内容にしてもいいかなと思いました。

分かりやすさの観点からは、自分の合唱団向けだとスライドにするんだけど、不特定多数向けなので、誤魔化しが効かず、十分に説明できるように文章での説明を選びました。でも読む側が少ししんどいかもしれないですね。質問とかあったら気軽にして欲しいです。知り合いなら直接お話もします。

 

(全然関係ないですが)この情報をリークしていいのかわからないんだけど、僕の尊敬する指揮者がなんか指導法をまとめるとかおっしゃっていたので早くそれを読みたいです。

 

次回からは本編に戻ります。

合唱演奏のための理論 4.ハーモニーとアンサンブル(ここまでのおさらい)

  1. 前置き
  2. ハーモニー:定義などの説明
  3. ハーモニー:どのように品質を上げるか
  4. アンサンブルについて
  5. かなり長い補足
  6. いつもの補足(余談)

 

1. 前置き

これまで、インターバルとパルスの話をしてきたが、基本的には歌い手「個人」の技術にフォーカスをして話してきた。合唱は「個人による歌唱」の集合である以上、演奏の品質向上においては個人がどのように技術を磨くかという観点で考えるべきだからである。リズムやメロディーだけでなく、本章で扱うハーモニーも、品質向上には第2,3章で説明した基礎技術を前提としており、一人ひとりがその技術を磨くことが肝要となる。

一方で、ハーモニーそのものを一人で成立させることはできないため、練習の際は個人の技術に加えて、「全体の技術」を考える必要がある。この章では、ハーモニーにかかる「全体の技術」すなわち、全体としてどのようなことを意識すると良いかについて検討し、そこにつながる話としての「アンサンブル」についても言及する。

 

2. 定義などの説明

ハーモニーは「和声(和音の進行)」のことであるが、演奏において「ハモっている」と言う時は少し意味が変わってくる。

「ハモっている」とは、

ある音に含まれる倍音と、別の音とその別の音に含まれる倍音が一致し、同時に鳴ることによって、音が同一のように聞こえたり、増幅されて聞こえたりする状態

を指す。(もっと詳細な説明もあるが、一旦このように捉えておく。なお、「2音の周波数比が単純な整数比に近い状態」を言い換えているだけである。)

ざっくばらんに言うと、ドとソを同時に鳴らした時、ドの倍音にはソに一致する周波数が何個か含まれているため、ドとソはハモって聞こえるということ。

そのため、基本的に音高さえ正しければ、現象としては「ハモっている」とみなせる。

しかし、実際の演奏を聴くにあたって、「ハモっている」と感じる時は、単に和音が鳴っているという以上に様々な要素も含まれていると考えている。そのため、ここでは上記で述べたものを「狭義のハモっている」とし、「広義のハモっている」状態を新たに定義する。

広義のハモっているとは、

・同時になっている2音以上のそれぞれの音高がある程度正しい

・音色(母音含む)がある程度揃っている

・各音がそれぞれある程度は聞こえ、バランスが崩れ過ぎていない

・和声進行におけるその和音が持つ役割の「雰囲気」を表現している

上記のような条件が成立している状態を指していると考えられ、演奏において「良いハーモニー、品質の高いハーモニー」という言葉遣いをする時は、「広義のハーモニー」の条件が整っている時である。

(他にも色々ありそうだが、指揮者のこだわりの範疇だと捉えている。この「こだわり」もかなり重要なため、みなさんの良いハーモニーについての考えをぜひ教えて欲しいです)

 

ここまでの話を前提とした時、私たちが目指すべきは、

①音高が正しいこと、縦に並んでいる各音のインターバルが正しいこと(2章で概ね説明済み)

②各音の鳴り始めのタイミングが同じであること(3章で説明済み)、鳴り終わりのタイミングが同じであること

③各音の音量バランスが崩れすぎていないこと

④各音がよく「響いている」こと、各音の倍音に極端な偏りがないこと、音色がばらつきすぎていないこと(5章で説明する予定)

⑤和声進行における和音の役割が表現されていること

上記のようになる。ここら辺は特に皆さんにとって新しくもないし違和感もないと思う。

 

3. どのように品質を上げるか

シンプルにいうと、いい声で音とタイミングが合っていれば良いハーモニーになる。音量バランスもよっぽどのことがない限り大きく崩れることはない。

だから、2,3,5章で説明する基礎技術を磨けばいいってだけなのだが、練習の際の考え方について、まず2つ、気をつけたい点がある。

①「ハモっている/いない」という二元論で考えない

ハモっているかいないかを二元論で捉えて判断してしまうことはかなり危険である。経験上、「理想のハーモニー」をイメージし、現実に鳴っている音と照らし合わせることは非常に困難であるため、指揮者・指導者が「なんとなくハモってるっぽい」ことに満足してしまうと、それ以上チェックをする動機が生まれず、ハーモニーの品質が不十分なまま、というか、まだ上げられる余地があるのに、磨くことを止めてしまいかねないからだ。なお、真の意味で「完璧な」音高で歌唱することは極めて困難であり、「ハモっている」の品質は指揮者の耳に依存するため、「どこまでハモっていればよいか」を合唱団の目的やスタイルに応じて練習の中でイメージしておくことも重要である。

これまで何回か書いた気がするが、「ハモった」に満足せず、「より良いハーモニー」を目指してよく注意して聞き、指揮者や合唱団の目指す100点に近づける努力を絶え間なく続けたい。それくらい「正確な音高・タイミング、揃った音色」は難しいことである。ことハーモニーにおいては、(100点を取ることが原則困難ではあるものの、)100点を目指す努力を継続するつもりで取り組むべきと考える。

(ここは後の項にてもう少し詳しく説明します)

 

②「たまたまハモっている」を確認するだけの練習から、いつかは脱却する

よく見るのが、「ある和音を伸ばしたり、その和音までの和声展開を繰り返してみたりして、綺麗に聞こえたらOKを出す」みたいな練習。練習の基本は分割と反復であるため、その練習自体はかなり効果が高い。しかし、さらに合唱団のレベルを上げたいのであれば、やはり各メンバーのソルフェージュの力を上げ、意図した音をある程度はいつでも出せる状態にしておくことが理想である。

というのも、この練習には、「たまたま成功したのか、その和音を正確に出す技術が身についたのかの判別がかなり難しい」「聞いてから合わせているメンバーがいる場合の濁りに気づくのがそもそも難しい」という2つの明らかな落とし穴があり、後者は指揮者がちゃんと気をつけていればギリなんとかなるが、前者はよくケアをしなければならない。「たまたま成功」の精度は練習量に比例するので、毎日ほとんど全員参加できる部活動以外では、すべての和音において反復による習熟をするのは困難であるし、緊張や調子によって精度は変動する。

ぼーっと歌わない、ぼーっと歌わせないことが重要である。インターバルが悪いのか、パルス、すなわちタイミングが悪いのか、声の響きが悪いのか、合唱団のメンバー各人が、反復する中でハーモニーに関して今自分の課題がなんなのかを理解し、意識して修正できるような形を目指したい。(そのためにはソルフェージュへの理解が重要である)

 

では、上記を踏まえ、練習や演奏において、その時鳴っている和音を指導者がどのように判断し、どのような練習をすれば良いかについて考察したい。本来ならばもっと具体的に説明したいのだが、細かくしすぎると単純な内容を複雑に語ってしまいかねないので、箇条書きでポイントを上げるだけにする。細かい論理をかなり省くため、疑問などがある際はぜひ指摘してください。

⚪︎ソルフェージュの部分(本章第2項で記載した条件の①、②)

・音高が正しいかを確認する。熟練の指揮者であれば注意深く聞けばわかるが、慣れないうちはピアノ(可能ならばハーモニーディレクター)に頼り、同じ和音になっているかを判断する。もちろん予習しておくことも大切。強く鳴っている倍音が聞こえるかどうかでハモっているかを判断する方法もある

・インターバルの感覚。歌い手がインターバルを理解し、意識しているかを確認する。すなわち自分が直前に歌った音とのインターバル、同時になっており隣接する音とのインターバルを理解し、意識し、聞けているかを確認する

・音の鳴り始めと鳴り終わりが揃っているかを確認する。終止を除けば鳴り終わりは次の音の鳴り始めなので、主に鳴り始めだけ気にしていればよい。何度やってもズレる時は指揮が酷いかメンバーがパルスを感じていない

 

⚪︎音色の同質性の部分(条件④)

・音色は「ある程度」揃っている方がよくハモって聞こえる

・語弊を恐れず言うと、「みんなが明るい響きを目指す」くらいは揃えたい。それ以上揃えるかどうかは指揮者の好み次第

・詳しくは第5章で書くが、揃っていたとしても、それぞれの声がよく響いていなければ、「品質の高いハーモニー」にはならない。「揃っていて、響いている」が重要である(よく響いていれば自然と揃うと考えている)

 

⚪︎和音構成音におけるバランス部分(条件③)

・上二つができてようやく音量のバランスである

・大まかにいうと、「すべての音が聞こえて、最高音がうるさすぎない」を意識するとよい

・ただ、そこまでバランスに神経質にならなくとも良いと思う。明らかに変とかだと話は別なんだけど、ちゃんと音が聞こえていればソルフェージュと発声より優先することはない

 

⚪︎和声進行に関する理解(条件⑤)

・少し高度な内容になるが、和声進行におけるある和音が持つ役割を理解し、その役割に則ってなんらかの表現をしてもよい

・和声進行は原則「緊張→緩和」の繰り返しであると捉えておくと理解しやすくなる

・「表現」は指揮者や合唱団の感覚に依存するため、好みで良いと思う。アゴーギク/デュナーミクアーティキュレーションを自分たちなりに工夫する、というか工夫できるとよいということ

 

4. アンサンブルについて

個人のソルフェージュ力の向上、つまりインターバルとパルスを意識して歌唱できるようになることによって、リズム・メロディー・ハーモニーの品質を上げましょうというのが1-4章までの概要である。

その上で合唱の演奏は、「みんなで合わせて」音を鳴らさなければならないため、「アンサンブル」が重要になる。ハーモニーはもちろん、リズムやメロディーの品質においてもアンサンブルは重要である。歌詞の発語も演奏表現も、何らかのまとまりで同時に行う必要がある。

このように、演奏におけるいろんなことを同時にやることを「アンサンブル」と定義し、「品質の高いアンサンブル」は、「演奏におけるいろんなことのタイミングや程度などがずれていないこと」と定義する。

「演奏におけるいろんなこと」というとあやふやかもしれないが、「ほとんどすべてのこと」と言い換えてもよい(あやふやさは変わっていないが……)。合唱の演奏においては、「ほとんどすべてのこと」を「誰かと合わせて」実行しなければならない。

「合わせてやる」ということなので、その品質は基本的にはタイミングに依存するため、やはりパルスが重要である。良いアンサンブルのためには、

・合わせよう、周りの音を聴こうという気があるか

・パルスを意識、共有できているか

が特に重要になる。

それに加えて、発語やフレージング、演奏表現のアンサンブルはもう少し複雑になってくる(パルスの共有だけでなんとかならないことも多い)。とにかく、「よくアンサンブルできている」ことがコンクールを始めとした演奏の技術的な評価の場では重視されるということを最低限認識しておいて欲しい。(ここら辺を深掘りしていくと「調和」に関する感覚的な話になる)

 

本章まででソルフェージュにおける基礎技術の説明をし終えた。

まとめると、「技術的な品質の高い演奏」のためには、インターバル、パルスの技術を上げ、よくアンサンブルすることで、リズム・メロディー・ハーモニーの品質を向上させることが必要であるということになり、そのためには合唱団のメンバー、何よりも指揮者がそれぞれの概念と重要性を理解し、意識することがポイントである、ということになる。

要は「ソルフェージュを大切にしよう」としか言ってない。ただ、ソルフェージュが大事なんてどの指揮者も言うわりに、現場を見てみると事の重大さがあまり伝わってないように感じるので、ここの部分に関しては長々と説明した。

次回はちょっとしたコラムを挟み、基礎技術のもう一つ、「発声」に触れたのちに、発展編へと論を進めていくつもりである。

 

5. かなり長い補足

純正律について、言及しないこととしたが、どう考えてもここで説明しておかないといけないことがあり、問い合わせも多かったので、補足として書きます。

ハーモニーを「ハモっている/いない」の二元論で考えない方が良いと言ったが、狭義のハーモニーにおいて、あえて「(完璧に)ハモっている状態」を決めるとすると、「純正律でハモっている状態」と言っても差し支えないと考えている。完璧なHzで音が出せさえすれば、原理上「うなり」のないハモりを提示できるからである。しかし、純正のハーモニー「だけ」を正解とすべきとは思っていない。繰り返しになるが、指揮者、合唱団の「スタンス」でよいと思っている。

ちなみに、純正律を扱う際は以下のことに気を付けておきたい。

・まず、人間の聴覚において、ある程度の音高がずれていたとしても「ハモっている」と感じることができるため、平均律=ハモっていないはやや視野狭窄である

・(試したことはないが)合理的に考えて全ての合唱団員が数Hz、数centの狂いもなく正しい音高で歌うことは不可能であるため、結局は純正律に「近い」ものしかできない。すなわち、「純正なハーモニーかどうか」という判断においては、結局は指揮者、さらには聞き手がその閾値を決めている(だから二元論で捉えない方がよい)

・ピアノなど、平均律にて調律されている楽器との演奏が困難である

・一部の和音においては純正律ではかなり歪な和音となる。加えて、全ての作曲家が常に純正律での演奏を想定しているわけではない

 

今回私が試みている演奏理論においては、「純正のハモリを目指しても良いが、音高以外の他の要素も演奏においては重要であるため、純正のハモリのみを正解とするスタンスは取らない」と決めている。

繰り返しにはなるが、純正律での演奏を否定するつもりはない、これまでの文章は「純正律のみが正しい」という考えを採用しないスタンスで書かれている理論だと言うことを説明したかったため、この項を設けた。

 

6. 補足(今回多いけどその1以外雑談です)

その1

「音色を揃える」という考え方には少し注意したい。詳しくは次の章で書くが、個人の声の良さを潰さない程度に溶け合っている状態が個人的な理想だが、指揮者の好みによるとしか言いようがないため、好きにして欲しい。

 

その2

和声について、和音が正しくできれば何も考えずとも和声は成立するが、和声の表現方法を考えるときのヒントとして、繰り返しにはなるが「緊張と緩和」の概念を頭に入れておくと良い。和声を可能な限りシンプルに考えると、「緊張と緩和の移り変わり」であると言える。トニック、ドミナントサブドミナントの分類もあるんだけど、現代和声理論は複雑化をしているので、緊張と緩和くらいシンプルに考えておいた方がよいと私は思う。

 

その3

品質のあげ方のソルフェージュ、インターバル部分で書いたことから考えると、

・全体orパートでユニゾンを正確に歌う練習

・聞こえた音高をまんま出すという練習

・インターバルによって正しい音程を出す練習

はやはり効果が高いのではないかと考えている。実際の練習メニューはどっかでまとめてお伝えしたいと思う。

 

その4

ここかなり反対意見もらうと思うんだけど、シンプルな3和音において「第3音(ドミソのミ)を小さくする」ことを要求する指揮者がいるが、マジで納得のいく説明をもらえた試しがない。「全体バランスの中である音が突出しないように」までならわかるんだけど、第3音を小さくする理由を科学的に正しく説明できる人いるのかな。

合唱演奏のための理論 3. ビート・パルス

  1. 前置き
  2. 定義などの説明
  3. どのように技術を身につけるか
  4. 補足(余談)

 

1. 前置き

第1章にて、 「①等間隔の拍(ビート)と正しい音程(インターバル)により、楽譜に記載されたリズム・メロディー・ハーモニーを正確に再現する」ことが演奏技術の一つであると定義した。この章では「等間隔の拍」について説明する。

正確な音高が正確なメロディーとハーモニーの再現に貢献することはこれまでの説明の通りだが、「等間隔の拍」はリズム・メロディー・ハーモニーすべてにおいて重要な役割を果たす。

加えて、「等間隔の拍」は音楽において様々な良い効果をもたらす。

わざと乱暴な口調で言うと、優れた合唱団になれるかどうかは、「等間隔の拍」を意識できているかどうかに大きく依存する。多くの合唱団は、音高にはこだわるものの、拍はあまり大切にしていないため、差が浮き彫りになるからである。

等間隔の拍を意識した演奏をするためには、指揮者が優れていればそれで十分ではあるが、やはりシンガーが意識できているに越したことはない。指揮者が指揮でちゃんと拍をつくり、さらに歌い手がそれをうまく活用するというのは高度な技術である。

 

2.定義などの説明

「1.2.3.4.1.2.3.4.1.2.3.4....」と口に出しながら手を叩く場合、多くの人が等間隔に手を叩いたと思う。それが今回取り扱う「等間隔の拍」すなわち「パルス」である。そしてパルスの構成要素である「拍」(上記の作業でいうところのそれぞれの手拍子)を「ビート」と呼んでいる。

パルス・ビートはほとんどの音楽において、目には見えず音にも聞こえないが確かに存在している。

等間隔の拍を意識した演奏とは、指揮者や歌い手がパルスを意識し、例えば♩=60の曲であれば、1秒間に1つの拍(八分音符に分けてもいいし二分音符にまとめても良い。曲による)が、一定の間隔で「聞き手が無意識のうちに感じられるように」演奏するということである。

今回は定義に加えて、「なぜ等間隔の拍を意識すること」が演奏において重要なのかを説明する。大きく分けて4つある。

 

①パルスはリズムの前提であり、メロディーの前提である

リズムというものはパルスとの相対によって生まれる。パルスを前提としないとリズムは知覚できないため、正しいリズムを追い求める場合はその背景にパルスがなければならない。メロディーは音高とリズムの組み合わせであるため、パルスは必然的にメロディーの前提にもなる。

ややこしく書いたけども、楽譜通りのリズムとメロディーを再現するためにはパルスがなければならないということ。

 

②パルスはハーモニーの品質に影響を及ぼす

ハーモニーの品質において、音高や声部のバランスが重要なことは言うまでもないが、「音を鳴らすタイミングを揃えること」も同じくらい大切である。メロディーの中で音は動き続けるため、タイミングがばらけていると他が全て高品質でもハモッて聞こえないことが多い。ロングトーンでも揃っていた方がハモっている時間は長くなる(原則としてはハモってない時間があってはならない)ため、やはりタイミングは重要である。(これは頭ではわかると思うが、実際にタイミングを重視して練習してみて、ハーモニーの品質がかなり上がることを体感してみてほしい)

そして、演奏において音を出すタイミングを揃えるためには、歌い手がパルスを持っていることが重要となる。例えば、「サン、ハイ!」「ら〜」と合わせる場合、「サン」「ハイ」「ら〜」は等間隔になるはず。歌い手が「サン」「ハイ」で、パルスを感じることによって、次の「ら〜」のタイミングを予測でき、合わせて発声できるようになる。

まとめると、歌い手がパルスを感じることによって次の音を出すタイミングを揃えることが可能になり、音を出すタイミングを合わせることはハーモニーの品質にとって大事であるということ。

 

③演奏において、歌いながらパルスを保つことは難しい

歌う時にパルスを保つことは大事!ということは理解してもらったと思うが、これを歌い手全員が正しくこなすことは難しい。すなわち、パルスを保って歌うことは訓練を要する技術であり、演奏中に意識することが品質向上につながる。

メトロノームに合わせてずれずに歌うことすら難しいのだから、音を出さずに指揮を見るだけでパルスを保つのが困難なことは想像に難くないはずである。

 

④パルスは音楽に感覚的な良い効果をもたらす

等間隔の拍が繰り返され、それに一定のアクセントがつくと「拍子」が生まれる。この拍子が正しく繰り返されると、音楽に均整感や安定感、時には推進力や活力がうまれる。これらの感覚や力は、聞き手にとって安心感や高揚感、快適感などをもたらす。

かなり感覚的で申し訳ないが、とにかくパルスを保ち、拍子を生むことによって様々な良い効果が発現するくらいに捉えておいてほしい。特に、「ノリ」や「グルーヴ」といった、聞き手に律動的な心地よさをもたらすものはパルスと拍子によって生まれると言うことを覚えておきたい。

簡単にまとめると、パルスを保ちながら歌うことによって、リズム・メロディー・ハーモニーの正確性、品質が向上するだけでなく、聞き手にとっての良い感覚を生み出すこともできるため、難しいけど何とか練習して技術を身につけようということになる。

 

3.どのように技術を身につけるか

インターバルの章で書いたことも結局は「意識をしろ」ということだけ。練習なんてものは大体意識的に品質を上げたのちに、あまり意識をしなくても品質が上がるようにすると言う作業がゴールのため、今回も基本的には「どのようにパルスを意識して歌えるようにするか」が主な問いとなる。結構試行錯誤しているのでみなさんからも色々教えてほしいが、私は以下のように考えている。

 

①拍を数えて音を取る癖をつける

多くの合唱団において音取りの練習や音を確認する作業の時、音高しか意識されていないような気がしてならない。基本的にはメトロノームとかピアノ弾きが拍を叩きながらやってくれるから気にならないんだろうけど、「正しい音を歌う」のではなく、「正しい音を等間隔の拍を保ちながら歌う」という意識にしたい。

繰り返しになるが合唱団、というか楽器ではなく歌に携わる人はもれなく、特にパルスを無視しがちになるから、当たり前のことではあるんだけど、もう一度大切にしてほしい。

 

②裏拍を叩きながら歌う

特に四分音符を基本とする4拍子や3拍子の曲で効果が大きいと考えているのが、裏拍を叩きながら歌ってみることである。要は補助輪をつけて歌うということだが、パルスは身体的に感じやすいものであるので、補助をつけながら、正しさを体感してもらうことが技術向上のには手っ取り早い。自分達がパルスや拍子、リズムを「作っている、支えている」という意識に変えることが特に重要である。

 

③指揮を振りながら歌う

やっていることは②とほとんど同じだが、指揮者の指揮に合わせて歌い手も手を動かしながら歌うということ。とにかくパルスは普段音に聞こえるわけではないから疎かになりがちであるため、何らかの手段で意識をしてもらうことが重要である。

 

「小学校のクラス合唱か!」と思われるかもしれないが本当にこれら以外はっきりとは思いつかない。

多くの合唱団では、音高に比べて拍の意識が後回しになることが多く、基本からの積み上げが必要になる場合もあるため、あえて子ども向けのような練習から始めるのも、有効な方法であると考えている。

 

等間隔の拍を保つことの重要性をあえて長めに説明した。ピアノをやっていたり指揮をしていたりすればごく当たり前のことに聞こえると思うが、合唱団員は基本的にはアマチュアであるから、指導者はその点を忘れずに練習に臨みたい。

ここに関しても、これまでの章と同様に、違和感やアイディアがあればどんどんコメントしてください。特に練習方があまりにも原始的すぎてこれでいいのかと思っているので、皆さんがどんな練習をされているかを教えて欲しいです。

 

4. 補足(余談)

その1

2つめの項で書いたことの中では特に②が大事だと思っている。音を出すタイミングを揃えることがハーモニーの品質に大きく影響することはもっと知られてほしい。合唱の演奏において和音があるところは常にハモっていたいから、絶え間なく和音が変化する際に、いちいち聞いて合わせていられない。ハーモニーの品質を上げるためには、それぞれの歌い手が正確なインターバルで、正しいタイミングで歌う技術が求められる。

 

その2

パルスは全員で同じものが共有されてなければならない。それぞれが等間隔でも歌い手ごとにずれていたらマジで何の意味もない。

たとえ指揮者を見てから音を出す場合であっても、基本的には「自分の中のパルスと、指揮者が指揮によって出している指揮者のパルスを合わせる」くらいの気持ちでいた方が良い。それぞれが指揮者を通じて調整するから歌い手が全員で同じパルスを共有できる。

指揮者として、ディクションや息の流れ、ダイナミズムや速度の変化を知らせることは役割としては重要であるが、指揮者の本番での役割は、原則としてはパルスを合わせてアンサンブルをすることにあると捉えて欲しい。

 

Nコン2024高校の部の話

まえがき

Nコン2024を聞いてきた!

何人かの知り合いから全体的な講評を聞きたいと言われたのと、ここ数年は自分もほとんど最前線にいたので、色々言ってもいいだろうと思ったのが理由で、書いてみようと思います。

はじめに言いたいことは、出場高校のみなさんへのお祝いとお礼です。出場おめでとうございます。素敵な演奏をありがとうございました。

個人的にはみんなに百点満点なんですが、コンクールというのは技術を評価する場でもあるのでどうしても優劣がついてしまいます。少し悔しい思いをした学校や学生もいたのではないでしょうか。

コンクールの役割は技術や取り組みを評価し、未来に繋げることですので、参加する団体はしっかりと過去の演奏を研究した方がいいです。今回のコンクールで悔しい思いをしたところ(全国大会に出られなかったところも含めて)にむけて、演奏の研究や、さらに技術を上げるためにはどうすべきかの参考になるように、偉そうに講評を書こうと思います。

雑な総評

トップ2は聞いての予想通り。銅賞は4つ自分の中に候補があり、その中の2校だった。

金銀の2団体と銅賞予想に入れていた4団体には技術的に明らかに差があった。また、これら6団体とそのほかの団体にも技術的な差があった。

この記事ではその「技術的な差」について自分の見解を述べることにする。

単純にいうと、表現とハーモニーの差である。そりゃ合唱なんてものの全ては表現とハーモニーなんだから当たり前だろと書いていても思うのだが、それぞれちゃんと説明したい。

なお、金と銀の差もあるっちゃあるんだけどかなりややこしい話になり賛否も分かれそうなためその説明は割愛する。書くのも難しいし。

表現

表現、ここではざっくりと

1.楽譜に記載されている強弱や速度の変化、演奏記号を再現する

2.楽譜には書いていないが、楽譜から合理的に読み取れることや合唱団が感じたことを表現する

以上のように考える。(楽譜にあるかないかで分けて考えているが結論は変わらないので一旦上記の区分は無視していい)

まず、合唱団がどんな表現をしたいか、すなわち「どのように楽譜を読み取り、どのような表現をしたいのか」「どのように音楽を感じて、どのような表現をしたいのか」はとてもよく伝わってきた。そしてその内容に優劣はないので言葉通りみなさん百点満点である。ただし、それは私がこの曲をよく知っていて合唱や音楽によく通じているから伝わったのだと考えている。客観的に(この言葉はあまり良くないが)、というか「この曲を聴くのが初めての人が聞いてそれが伝わるような演奏だったか」と言われると改善すべき点があるかもなと思っている。

ポイントは2つ、変化構成である。

表現 変化について

演奏表現の基本は「変化をつけること」である。強いとか早いとか柔らかいとか明るいとかはすべて、「普通と比べて」という枕詞がつく。本当は「曲全体の平均と比較して〜」とかやれるといいんだけど難しい上にそんなに効果はないので、「直前の部分と比較して変化がついているか、変化がついているように聞こえるか」に注意するとよい。

変化に乏しいと、仮に楽譜通りやっているつもりでも「なんかやってるぽいんだけど何をやったかわからん」みたいに受け取られてしまう。せっかく良い感性と論理で素敵な表現をしようとしているのだからもったいない。表現を伝えるためにも、変化がわかるように演奏した方がいいし、「変化をつけることで表現する」という視点でやってみるのもいい。

金銀の団体はそこが良かった。変化をわかりやすくつけているから表現がわかりやすかった。

一般の団でもよくあることだが、練習を重ねると上達と共に慣れてくるから、変化がわかりにくくなってしまう。指揮者はそこによく注意して、合唱団で練り上げた表現が聞き手にしっかりと伝わるようにしてあげてほしい。

表現 構成について

今から書くことは結構口うるさく言ってるつもりだし、どのコンクールの全体講評でも何年かに1回くらい言われてる気がしているのだが、あまりちゃんとやってくれる団体がないから、多分こっちの伝え方がよくないんだと思っている。できるだけわかりやすくしてみるがそれでもむずいと思うので、わからないところは聞いてほしい。

構成を意識した演奏とは、楽曲の各部分の、全体の中での位置付けと役割、性格の違いを理解してそれぞれを浮き立たせるように(というか伝わるように)全体との調和を図りながら演奏することである。

こう書いてみて思うがかなりわかりにくい。要は上に書いた「変化」を音符単位、フレーズ単位ではなく、練習番号などある程度の長さの単位でやるということになる。

ここのポイントは

・それぞれの部分ごとの役割や性格(色みたいなもの)を理解し、どう繋がっているのかを理解する

・それら役割や性格、またはその変化がわかるように表現を作る

・全体の流れを考えて調節する

みたいにいくつかあるんだけど、今回聞いててすごい気になったのは、「ちゃんと入りとオチを意識できているかどうか」

例えば曲がA、B、Cと分けられるとしたら、それぞれにしっかりオチをつけてから次に進んだ方が良いし、新しい部分に入ったら「始まりましたよ感」があった方が良い。毎回大オチにすると曲が切れちゃうからあれなんだけど、小オチくらいつけておかないと、「何がやりたいか、何をやってるか」がわからないまま次に進んでいってしまうから、聞き手が困惑するし、なんとなく進んでいつの間にか終わってしまう。そういう演奏が結構多かったなと思っている。

構成は多分みんな理解しているんだろうけど、変化と入り、オチがないから伝わって来にくいということ。

上位の団体はここがよくできていたように思う。

また、「全体との調和を図りながら」とか書いたがそこらへんは申し訳ないが言語化し切れてない。ぶっちゃけ私も半ば感覚でやってる。クラシックなら簡単なんだけど、ここ最近の、特に日本語の曲は結構苦労する。

ハーモニー

合唱は基本的にはハーモニーの品質が演奏の品質になる。今回もほとんどそこで差がついた。

まず、ハーモニーについては、ハモってるハモってないの二元論ではなく、品質を100点に近づけるための終わらない戦いを我々はしていると考えた方がいい。ある程度までいったらハーモニーの品質を上げる訓練をやめてしまう合唱団が結構いる。他にやることがたくさんあることはわかるが、少しでもいいから継続した方がいい。練習を重ねればハーモニーの品質は上がり続ける(し、ほっとくと下がり続ける)から、やったもん勝ちである。

では、ハーモニーの品質は何によって定義されているかというと、基本的には音高、タイミング、発声と捉えると良い。

ハーモニー 音高・タイミング

音高について、全国大会に出てくるくらいだからそこそこ正しいんだけど、品質に明らかに差が出ている。厳しめのことを言うと怪しい人が1人でもいるとハーモニーはかなり濁る。後述するが音高に不安がある人が耳で合わせるとタイミングもズレるから、音高は思ってるよりシビアに練習したほうがよい。音程を正しくとる練習をするのが近道というのが持論だが、やり方はどうでもいいのでとにかく音高を正しくとれるようにしたい。

全体的に音高への意識は甘くなりがちだと思う。「音取れたらいっか」であとはフレージングとかディクションとかメロディーを聞かせるための練習に移行してしまう。それ自体は悪くないんだが、音高も練習を重ねれば品質は上がり続けるから、丁寧に時間をかけて100点を目指すくらいの気持ちでやりたい。

次にタイミング、単純に音を発するタイミングを合わせようということだが、コーチ先のどの団体の練習を見ていてもそこにあまり時間をかけられていないように思う。単純な仕組みとして、同時に音を出さないとハモらないから(ロングトーンは伸ばしてるからハモるけど)、タイミングをそろえて歌う、すなわちアンサンブルの練習をもっとした方がいい。そのために、メンバーはビートをちゃんと感じないといけないし、指揮者はそれを支える役割を果たさないといけない。練習量でなんとかしてもいいけど、タイミングを揃えることを意識して練習した方が効率が良い。

音高とタイミングはかなり基礎のところだから、ある程度のとこまでいってなんとなくハモってくると、そこで練習をやめちゃう団体がたくさんある。指揮者が持ってるハーモニーの品質の合格点を超えてしまうと、そこから先があることに気づきにくいんだろう。一旦、「ここまででいいか」をやめて、音高・タイミングといったつまらん基礎練習を徹底すれば、ハーモニーのレベルは上がり続ける。

ハーモニー 発声

コーチをしていて発声について色々いうことは基本的にしないようにしている。多くの団にはトレーナーがいるし、団が作り上げてきたものに迂闊に手を入れることは危険だからである。

ギリギリ言えることとして、目指したいところをシンプルに定義すると「みんなで高い(明るい)響きを目指す」ことである。

ここからはもう流石に実践の範疇だからあれこれ書かないが、今の自分たちの発声をベースにしながらも「どうやったらもっとよくハモるだろう?」みたいなのを意識して、出し方を工夫すると良いと思う。

まとめ

1.やりたいことはよく考えられていて素敵!聞き手に伝えるためには「変化」をもっと大事にするとよい。構成も意識できると尚よい

2.ハーモニーの基礎である音高とタイミングは妥協しないで継続的に訓練したい。そればっかりやるわけにはいかないがやればやるだけ上がる

3.発声は団体の個性だけど、高い響きを目指したいし、もっとよくハモらせるためには?みたいな視点を持ちたい

おおむねこういうことができているか、または意識できているかというのが共通する大きな差だろうと思っている。もちろん細かい技術の優劣は結構あるから、これだけ改善しときゃいいってわけではないんだが、共通しているのはここら辺かなと思う。

また、例年課題曲のディクションがすごい気になっていたが今年は出来不出来はあれどわりと意識されているんじゃないかと思っている。学生や指導者の研究の賜物であり、参考にさせていただきたい。

 

以下余談なので読まなくてもいい。

TLをぼーっと見たりするんだけど、印象批評とか文学的な感想はたくさんあれど技術についてはっきりした言及はあまりない。合唱をやってる人の美的感覚なんだろうからそこについてあれこれ言わないが、プロとして技術に関する発信を続けていきたい。もちろん音楽は技術が全てではないが、技術を追い求めることに対して前向きになってもらえるような内容を出したいし、そのためにはかなり不透明な技術をできるだけ言語化していきたいと思う。

合唱演奏のための理論 2.インターバル

  1. 前置き
  2. 定義などの説明
  3. どのように技術を身につけるか
  4. 補足(余談)※今回は余談もかなり大事なので、できれば読んでください

 

1. 前置き

前回、「楽譜通りに」演奏する技術の一つとして

①等間隔の拍(ビート)と正しい音程(インターバル)により、楽譜に記載されたリズム・メロディー・ハーモニーを正確に再現する

ということを挙げた。今回はこの中の「正しい音程(インターバル)」について取り扱う。

楽譜に記載されたメロディーとハーモニーを正確に再現するためには正しい「音高」で歌うことが必要である。

合唱団の全員が絶対音感を持っているということは極めて珍しいため、どんな曲でも正しい音高で歌うためには、そのための技術を身につける必要がある。

絶対音感を持っていない人は、メロディーを覚え、記憶を頼りになんとなくの音高で歌っている。ただ、合唱をやる人の多くは耳もよく音感に優れており、何より勤勉であるため、記憶・感覚・練習量でなんとかしてしまえることが多い。(同じ音を何人かで歌うことが多いため、1人でもできる人がいればなんとかなるという合唱の性質も要因ではある。)

しかし、そのやり方では自分の音高のズレに自分で気づくことはかなり難しいし、歌の最中に周りとのハモり方(長短2.3度、完全4.5度とか)を聞いて後出しでコントロールするため、音高・タイミングのブレによるハーモニーのごく僅かな「にごり」を解消しきれない。

また、何人も参加者がいる合唱という形態で、一人一人の音高のズレをピンポイントで修正していくことは現実的ではない。

それを解消する、すなわち、音高を可能な限り正しく歌い、音高のズレに自ら気づき、練習で修正し、メロディーとハーモニーの正確さを上げるためには、「音程を意識し、音高を調節する技術」を身につける必要があると私は考えている。

 

2. 定義などの説明

(当たり前すぎて鬱陶しいかもしれないが内容を十分にするために必要なので説明させてください)
音程(インターバル)を、ここでは
「楽譜上で隣接する2音間の差」
と定義する。

いわゆる長3度だとか完全5度だとかいうアレである。

(この補足画像は必要なのだろうか)

上記は念の為の補足画像であるが、「楽譜上で隣接する2音」というのは左から「HとA、AとG、GとA....」であり、「2音間の差」とは「長2度、長2度、長2度......」と記載されているやつのことである。
また、「2音間の差」はオクターブ内に完全1度から完全8度まで13種類しかない。(合唱曲においてオクターブ以上の跳躍が出現することはごく稀であるため考慮しない)

正しい音程(インターバル)で歌う技術とは、要は「(13種類の音程を身につけ、)ある音高から次の音高を正しくイメージし、出来るだけ正しい音高で歌唱する技術」のことである。

 

3. どのように技術を身につけるか

それでは、何に取り組めば前述の技術を身につけられるのかというと、私は以下の3つが重要であると考えている。

①音程を意識した歌唱をする癖をつける

②ソルミゼーションでの歌唱を練習メニューに入れる

③可能ならChorübungenを修了する

それぞれ少し説明をつける。

①まずは意識を持つこと、意識を変えることが重要である。楽譜上の音高を、「メロディーなどの音高の記憶頼りになんとなく歌唱する」のではなく、「音程を正しく歌唱する」というようにマインドを変えること。音程とは隣接する2音間の差であるから、すなわち「自分が直前に歌っていた音高と、その次の音高の差を正しくイメージし、歌唱する(レ→ソと歌う場合、レを歌っているうちに完全4度の上行をイメージする)」となる。ついでに、自分の「隣の」パートの同時に鳴っている音にも注意を払えると調節しやすくなる。当然、繰り返していくことで意識しなくてもできるようになるんだけど、しばらくの間、身につくまでの間ははっきりと意識してやらねばならない。

ちなみに、書くほどのことでもないが、聞いた音(鳴っている音)と同じ音高(完全1度)で歌えることが前提になるため、聞いた音をまんまならすユニゾンでの歌唱は、インターバルのトレーニングとして重要だし、アンサンブルやハーモニーの訓練もできて良い練習である。

 

②練習の方法としてお勧めしたいのは、「ソルミゼーションでの歌唱」である。あまりつまらなくないし効率も良いので是非やってほしい。移動ドだろうがヘクサコルドだろうが何でも良いので、「音程に集中した歌唱の練習」としてソルミゼーションを使いたい。音取りの時にソルミゼーションを採用している合唱団は少なくないが、前述の理由から、技術をつける、品質を高めると言う観点では、定期的に、継続的に実施しないとあまり意味がない。

 

③Chorübungenは、ミュンヘン音楽学校にて開発された、インターバルのトレーニングを中心にした総合的な合唱練習のテキストである(細かくは各自ググって欲しい)。一般の合唱の練習にはあまり使われなくなったと思うが、13種類の音程を「身につける」ためのカリキュラムがある。可能なら修了することが望ましいが、時間を要する上に普通にやるとおもんないので、挑む際は覚悟すること。

 

インターバルの章では、音高を正しく歌うためには、音程を正しくイメージして歌うことが重要であり、そのためのポイントとしての3つをあげた。目的は音高の正確さにあるため、ソルミゼーションをやっていなかろうが、音程が意識されていなかろうが、畢竟どうでもいい。示したものは仮説としての例に過ぎないため、指導者の皆さんが音高の正確さのためにどのような理論を持って練習されているのかを、もしよければ教えて欲しい、是非参考にさせていただきたい。

 

4. 余談

その1

音を取るのは当たり前、音程を正しくするのは当たり前とみなさんお考えであると思う。「長々と読んできたわりにこんな当たり前のことしか言わんのかコイツは」と落胆している方もいるかもしれない。

しかし、コーチをしてきた中で出会った多くの合唱団は、「正しい音で歌う」際、ひとまず記憶頼りに歌い、合うまで歌わせて、たまたま合ったらめでたしめでたしという練習をする。それは厳密には技術を磨くことにつながらない(再現性が記憶頼りになるため、危うい)。個人が、前述の「音程を意識して歌う」という努力をしない限り、「その曲のその部分を覚える」ことは可能だが、「正しい音で歌う」ことは不可能である。なんとなくの記憶をチューニングするのではなく、音程をチューニングする歌い方に変えない限り、技術の向上はあり得ないと考えている。

 

その2

ちなみに、あれこれ書いてきて今更だが、めちゃくちゃ練習して歌えるようになる頃には音程を知らなくとも音程を無意識に感じて歌唱するようになっているんだと思う。練習の初期の段階から音程を意識してやろうねということである。

 

その3

多くの合唱団は「(ある楽曲の)音が取れている/取れていない」と言う言葉を使う。

しばらく指導者をしていて感じるようになったことであるが、この言葉はあまり不用意に使わないほうがいい。まず定義が曖昧(どのような状態を指しているのか不明)にも関わらず、技術・練度の水準を示すような言葉になってしまっているし、音高のイメージも歌唱も、一度100点を出せたからといっていつでも100点を出せるようなものではないからである(絶対音感の持ち主は除く)。

音高を「取れている/取れていない」で判断し、一定の水準で練習をやめてしまうのではなく、「正しい音高で歌唱することを意識し続ける」ものであると考えたい。ソルフェージュをはじめとする演奏技術や音楽の技術的品質に頭打ちはあまりない(100点を取れることはほとんどないうえに、どんなレベルであっても、できてないとわかる人にはばれる)。技術を身につける前に、このパラダイムの転換が必要である。

 

その4

これは経験から感じることであるが、合唱団のほとんどは、音高の正しさをはじめとするソルフェージュへの意識が足りない。もちろん、合唱の演奏というものは技術が全てではないし、音高の正しさも技術の一部にすぎないが、例えばコンクールの結果に頭を悩ませている指導者は、一旦ソルフェージュの品質不足を疑った方が良いと思っている。

 

その5

移動ドについて、音程を意識するためのソルミゼーションでの練習の手法として紹介したに過ぎず、純正律の採用を推奨したものではない。純正律を否定はしていないが、全ての合唱演奏が純正律でなければならないとは考えていない。語弊を恐れず言えば、スタンス、個性のうちであると私は捉えており、純正律での歌唱を基礎技術には含めていない。(これ以上あれこれ言うと藪蛇になりそうなので、純正律についての言及は以降しないこととさせていただきます。)