のんのんの無駄話

言いたいことを言いたいだけ言いたい

合唱団の名前を決めた話

こんにちは、伊藤望です。

今回は一昨年度から立ち上げた合唱団の名前が決定したので、そのご報告と由来等の説明、加えて作成したロゴとそのコンセプトの紹介をしたいと思い、記事を書くことにしました。団員への共有も目的としています。言いたいことを全部書いたため、とても長いので体力のある時に読んでいただきたいです。


さて、一昨年の2月に「合唱団(仮)」という名前で合唱団を立ち上げました。(活動自体は4月だったのですが)新しい名前をご報告するにあたって、なぜこのようなみょうちきりんな名前でスタートさせたのかをまず説明(弁明?)します。
合唱団を立ち上げようとした当初、この集まりのことを「合唱団」と名付けていいものだろうか?と、常に疑問を持っていました。それは私の変なこだわりが理由なのですが、私は「団員一人一人が自らの技術、感性や知性を、責任を持って管理育成できる人々の集まり」が理想的な合唱団だと考えていました。これこそが合唱団の定義であるとさえ考えてもいました。今もそれは変わっていないのですが、当時もただ集まって歌っているだけではそのような合唱団になることは不可能だと、少なくとも今はまだ合唱団ではないなと思っていました。そのためお尻に(仮)をつけてしばらくの間活動をしていました。昔の記事にも「どこかで合唱をやっている人たちの集まり」のようなものがいいなあとかなんとか書いたような気がするのですが、念頭にあったのは以上のような内容になります。つまり「独立した合唱人」の集まりを理想としていたということになります。活動の1、2年目の練習や取り組みは、私たちが合唱団になっていく道のりだったのではないかと、今振り返ると思います。

もう一つの理由は前の記事に書いたとおりで、名は体を表すという言葉にあるように、合唱団の名前を活動を始める前に決めてしまうと、それがそのままコンセプトや目標になってしまいかねない、その場合、自由な活動の阻害になるかもしれないと考えていたためです。全くの杞憂だったと今なら思うのですが、いままで部活動やサークルでやってきたような、ある一つの目標や発表の場に向けて、そこで最善の演奏ができるように、ありとあらゆる選択肢から一つだけを選び、いろいろなものを切り捨てて洗練させていくスタイルではなく、いいと思ったもの、必要だと思ったもの、ともすればそうであるかもしれないと思ったものさえを全て拾っていくような取り組み方をしたかったのです。そのためには、ある一つの名前を決めるのではなく、やっていくうちにふさわしいようなコンセプトを見つけていけばいいんじゃないかと考え、あえて名前を決めないスタイルでやってきました。

まとめますと、

1.合唱団と呼べるような集まりではない。

2.名前を決めることによってやりたいスタイルの取り組みができなくなるかもしれない。

という理由で「合唱団(仮)」というよくわからない名前のまま続けてきたということになります。

そして、今期一年活動してきて、上記2つの問題に答えを出すことができた、より正しく言うと、いままでの活動の中でメンバーと共に答えを見つけることができたと思ったため、名前を決めることにしました。

1/26に合唱団(仮)の初めてのオフィシャルな演奏披露の場として、「文京区合唱のつどい」に参加いたしました。その本番の数日前、なんとなくそれまでの活動を振り返った時に、そろそろ(仮)が合唱団になり始めている、メンバー1人1人の技術や感性、知性に対しての関わり方が昔と変わり始めている、というようなことを確かな実感として抱きました。その理由を説明するためには我々がどのような練習をしてきたかを事細かに述べねばならないため割愛しますが、ヴォイストレーニングをお願いしている大島先生のご協力のおかげであることを確信しております。大島先生のご指導を受けていく中で、メンバーがそれぞれの技術の理想や目標に対して、ある程度はっきりとした道筋または梯子を見出すことができたと思います。それに伴って曲の内容や表現への向き合い方もガラッと変わりました。そのようなみんなの練習での姿を思い出すうちに、そろそろ合唱団になってきた、もちろんまだまだだけど少なくとも一歩は踏み出し始めた、合唱団の卵から合唱団のひよこくらいにはなってきたんじゃないかと思えてきました。よし!それなら名前を決めよう!そのためにはコンセプトだな!とか思った時、見えてきたうちの団のコンセプトはやはり「全員が全員で上手くなること」これ以外にないのではないかとの考えに至りました。合唱へのモチベーションや目標はそれぞれで持てばいい、でも「全員が全員で上手くなること」それだけは守ろう。それよりも狭い、活動の幅を狭めるようなコンセプトはもうなくてもいいや〜と結論がでました。

名前を決めた理由は以上になります。

 

さて、合唱団(仮)は

Ensemble Werden

という名前を付け、これから活動していくことにしました。「アンサンブル ヴェルデン」と読みます。理由がいくつもあるので以下で説明します。

Ensembleはフランス語で「合奏」という意味になり、合唱シーンでは「合唱団」という意味で用いられることも多いです。Werdenはドイツ語の「〜になる」という意味の動詞、未来の助動詞の不定形、名詞としては「成長」などという意味になります。フランス語とドイツ語を混ぜた理由は、この団の形式にあります。うちの団には指揮者が私ともう1人います。それぞれのルーツというか好みのようなものが、片方はフランス、片方はドイツとはっきり分かれているため、それを踏まえて別々の言語を合体させました。また、これからも2人でやっていくぞという意思表示でもあります。

「Ensemble Werden」をフレーズとしてそのまま読むと2つの意味になります。ひとつは「(我々は)合唱団になる」そしてもうひとつは「この合唱団は〜になる。この合唱団は成長する」という意味です。前者はうちの団の取り組みとかなり密接に結びついています。先ほど述べた理想の合唱団、「団員一人一人が自らの技術、感性や知性を、責任を持って管理育成できる人々の集まり」にもっと近づいていくぞ、という意志が込められています。後者は「全員が全員で上手くなる」というコンセプト、そして、それ以外には目標やコンセプトのようなものをなにも決めなかったことと結びついています。様々な理想や目標があり、それはメンバーそれぞれが持っていればいい、団としても、いつだって何かを多分目指しているんだろうけど、それが何であるかは一つだけに決めなくていい、全員が全員で上手くなる(=成長していく)ことだけをとりあえずのコンセプトに活動していこうという思いが込められています。

ここまで読んでくださった方が果たして何人いるのかわかりませんが、「Ensemble Werden」という名前にした理由は以上になります。我ながらよく考えたと思っています。たいへん気に入っているので是非覚えてください。「アンサンブル ヴェルデン」と読みます。

また、素晴らしいロゴも作成しました!団内の誇るアーティストに作ってもらいました!f:id:nonnonchorus:20200301004100j:imagef:id:nonnonchorus:20200301004104j:image

ロゴコンセプトも教えていただいたので、それを以下に原文まま載せます。

「到着することのないなにかを目指して進み続けている。けして到着することはなく、それでいて、気づけば目指していた地点は通りすぎている。さらに今の地点から見えているなにかを目指し、なおも進み続けーー

 このイメージを、どこまでも続き、けして辿り着くことのない「地平線」という概念で象徴しました。「地平線」は、種を抱える土、きらめく湖面、光がきりとる山際、運行する太陽から表しています。
 同時にこれらの要素は4つのパートも示しており、左でそのパートを貫くのは指揮棒です。指揮がパートを通してできた図が、私たちの旗印になります。」

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最後に、僕がなぜ合唱団を作ってまで合唱を続けているのかを書いて締めたいと思います。合唱をやっている人なら誰しもが「憧れの演奏」に出会ったことがあると思います。僕は指揮者として活動してきた期間が長いので、その「憧れ」は観客として演奏を聞いた時よりも、自分で納得のいく演奏ができたとき、こんな演奏をまたしたいと思って生まれることが多かったように思います。演奏とは行為自体は一度きりですが、それまでに長い期間の取り組みを必要とします。納得のいく演奏とは、納得のいく練習、納得のいく取り組みをして初めて生まれるものです。僕はそんな演奏を何回も何回もしたい、そんな演奏ができるような取り組みをしていきたいという憧れを動機に合唱を続けてきたし、これからもその憧れを追い求めて続けていくんだと思います。

最後は少しこっぱずかしいことを書いてしまいました。Ensemble Werdenをこれからもよろしくお願いします。

それでは、今日はこの辺で

おやすみなさい